万葉集

日記です。万葉は筆者の名前でもあります(読みは秘密)。

2020/09/15

故あって、今週の日曜日、スマブラで一番敗北した男はアルコール中毒で死ぬ可能性があるので、決死の覚悟でスマブラの練習をしている。

たまにコントローラーを破壊したくなる衝動に駆られるが、取り敢えず200戦目指して頑張ってる(本当に楽しいんかこのゲーム

 

突然、真面目な話になるが、今まで自分は「あまり人と絡みたくないが、一応コミュニケーションは取れているし、人間不信とかではないだろう(人間不信ならガチで人を避けるだろう)」と考えていた。

が、本当は他人をとても恐れていて、自分が完璧な人間でないと人から見捨てられると考えているのではないか。そして無意識下では人間不信を抱えているのではないだろうか。と思うようになった。

理由としては、人と会話している時、ほんの少しでも疑問に思ったら、その疑問を深く考え、最終的には「完璧に答えられなかった私に相手が怒っている」という結論に達するからである。

もちろん、こんな結論馬鹿げているし、精神病染みているが、本心では他人を恐れていて、無意識下では人間不信を抱えているからこそ、この結論に達するのではないか。と考えている。

できれば治したい、つまりこんな結論を出さない、小さな疑問を深く考えすぎないようになりたいが、できないと考えている。

なぜなら、この人間不信の部分も含めて私で、この人間不信の部分を否定することは私自身を否定することと同義だと考えているからである。

 

しかし、理論的に考え、自分自身を客観視することはできる。客観視できれば、疑心暗鬼になっても「あーなんかまた疑心暗鬼モード入ってんな」っていう感じで冷静に見ることができ、心が楽になる。と考えている。

あくまで、私が考えていることなので、もし人間不信と向き合う考え方というか、上手な生き方があったら是非知りたい。

 

なぜこんな人間不信を抱えるようになったのか、なぜ完璧な自分でなければ見捨てられるという考えになったのか、思いつくきっかけは2つある。

前者は、中学時代、部活でキャプテンをしていたのだが、親友だと思ってた人に裏切られたこと。

=>この事件がきっかけで、他人は所詮他人だと心の底で理解してそのままズルズルと人間不信に。

後者は、幼稚園時代、近所のガキ大将に家に呼ばれて、散々なことを言われ、その日を境に、今まで活発だったのに、急に大人しく、無口になってしまった(喋れなくなった)こと。

=>散々なことを言われたのは、自分がそのガキ大将にとって完璧に答えてくれる人間ではなかったから。という解釈を幼稚園児さながらしてしまい、現在に至る

である。

 

今更、トラウマを植え付けた連中に復讐したいなんて思いはないし、上記のトラウマを否定することは、今の自分を否定することに繋がるので絶対に否定しない。

が、もしこの記事を若い人が読んだら、今自分がしている行動が他人にはどう写っているのか、考えてみて欲しい(突然の上から目線)

 

以下のサイト様が参考になった。この手のサイトはあまり参考にしないようにしている(超絶失礼)が、以下のサイト様の内容を読んで、ハッとなったので今回の記事を投稿した次第。

hot-hint.com