万葉集

日記です。万葉は筆者の名前でもあります(読みは秘密)。

2020/09/03

芦田 愛菜先輩(感銘受けすぎて勝手に先輩呼びしてる)の信用することの話に、めっちゃくちゃ感銘を受けた。

個人的には信じるってどういうことなんだろう?って中学生ぐらいから今日に至るまでずっと考えていて、大学生になってからは、「信じるなんてものはないんじゃないか、というか別に無理に信じようとしなくてもいいのではないか」という結論に至っていた。

しかし、芦田愛菜先輩の

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」

という言葉が、ずっと悩み続けていたことの答えの一つだと思った。その言葉を聞いた瞬間、モヤモヤが晴れて、なんというか救われた気分になった。

実は中学生時代、部活で色々あって、ちょっと人間不信みたいな状態になったことがある。その時は「今まで友達だと思っていたのに裏切られた」と解釈してしまって、そう解釈した瞬間に憎しみが止まらなくなって、高校は地元の友達がいない、ちょっと離れた高校に進学した。

しかし、ここで、「ちょっと酷いと思うけど、これもこの人の一面なんだ」と解釈すれば、ほんの少し未来が変わったかもしれないし、気が楽だったかもしれない(別に今の人生に全く後悔していないが。)

 

私には、人からちょっと引っかかることを言われると、ずっとその場面が頭の中で何度も再生される癖(?)がある。

芦田愛菜先輩のお考えで言うと、私はまずその人に対して、理想の人間像を勝手に作ってしまうのかもしれない。そして、その人間像から少しでも外れた瞬間、「いや、あの人はそんな人じゃないはず・・・」という風に、その勝手に作った理想の人間像にしがみついて、理想の人間像であることを証明するために、延々と頭の中で再生しているのかもしれない・・・と思った。

私としては、この癖がとっても苦しくって(一時期、精神的な障碍かと真剣に考えた)、どうすれば楽になれるのか考えていたのだが、今回の件で楽になった。感謝。崖の上のポニョ見ます。

 

芦田愛菜先輩は、結構本を読むらしい。今回の件で俺も本を読もうかなと思った(読むとは言っていない)

 

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