万葉集

日記です。万葉は筆者の名前でもあります(読みは秘密)。

2020/10/01

内定式へ行ってきました。

同期は、変わっているというか、色々やっている人が多い印象だった。もちろん良い意味で。楽しくなりそうだと、ちょっぴり思った。

あと、まだできて10年も経っていない会社だからか、幹部の方々が比較的若かったのも印象深いって感じ。

 

帰ってから、「幸せになる勇気」の続きを読んでいた。時折、本を読んで自分の経験と照らし合わせて、ハッとなるのだが、それをアウトプットしないと、私の貧弱な脳内メモリから消えるので、今日もここに書く。

 

私は、バイトでも卒論でも何でも、目の前にあるタスクにあまり注意せず、タスクの向こうにいる人に注目してきた。例えば、バイトであれば、直属の上司。卒論であれば、担当教官の教授。といった風にである。

なぜ、向こうの人に注目してきたか。それはひとえに、褒められたいからである。褒められて、周りの人間とは違うな、という承認欲求を満たしたいからである。

単に、タスクをクリアするという目的ではなく、「どうやったら褒めてくれるのか?」というのを念頭においてタスクを今までこなしてきた次第。

 

今までの私の経験上、もっとも褒められるパターンは、課題を他の人よりも終わらせるパターンである。課題を早めに終わらせると、大抵褒めてもらえる。

しかし、課題を早めに終わらせるというのは、質の悪いものを早急に作ってしまって、提出するということ。褒められたものの、「この部分が抜けてるよ」みたいな指摘をあとで受けたことも何度かあった。

で、指摘を受けたから次は丁寧にしようと、何度も思って実行してきた(つもり)なのだが、どんなに細心の注意を払ってもまたやってしまう。とても不思議だった。私には丁寧に作業をする能力がないのか、とまで思った。しかし、本書を読んでハッとなった。

決して能力がないわけではなく、タスクをこなす際の根元に「他人から褒められたい」という承認欲求が無意識下で渦巻いていたからである。だから、どんなに表面上のやり方を変えても、無意識下の自分は目の前のタスクに目を向けておらず、タスクの向こうの人に目を向けているから、また同じ失敗をしてしまう。と、納得した。

じゃあどうすんねん。という話だが、私が出した答えは単純で、タスクの向こうの人ではなく、目の前のタスクに向き合う。である。タスクをクリアしなければならないのに、タスクの向こうの人に注目していては、絶対に目の前のタスクは本当の意味でクリアできない。

これからは、タスクを行う際は、タスクの向こうの人にスポットライトを当てず、私と目の前のタスクのみスポットライトを当てて、物事を行いたいと考えた。

 

 

最近、近くの家から「ゥ"オ"エ"ェ"ェ"ェ"エ"エ"エ"!!!」みたいな、大変汚い音が聞こえる。引越ししたい・・・