万葉集

日記です。万葉は筆者の名前でもあります(読みは秘密)。

2020/09/26

嫌われる勇気読了。

ざっくり言うと、

  1. 自分のタスクと他人のタスクを分けろ
    相手が上司でも「自分の意見をハッキリ伝える」という自分のタスクをしっかり遂行すべし。相手に嫌われるかも、と不安になるが、
    自分が嫌われるかどうかは、自分のタスクではなく、相手のタスク。もし、本当の意味でタスクの分離ができたら、相手に嫌われようが、褒められようがどうでも良くなる。
    ちなみに「上司に嫌われたら仕事にならんやんけ!!」という反論がきそうだが、これは原因論で考えているからで、アドラーは目的論というものを提唱している。
    つまり、上記の反論を口にする人は「上司に嫌われたら、自分の仕事が上手くいかなくなる」と考えているが、アドラー心理学では、「自分の仕事が上手くいかない言い訳をするために、自分を嫌っている上司を作り出す」と考える。
    あくまで自分がすべきは、上司に媚を売ることではなく、自分の課題に取り組むことである。

  2. 相手に褒められようとするな
    褒められようとした瞬間、自由はなくなる。
    仮に、褒められるような生き方を選択した場合、相手の動作、性格、現在の状況などをしっかり観察して、行動する必要がある(これでも完璧に褒められるような生き方ができるかは分からない)。しかし、現実は大量の人間と交流しなければならないので、上記のことは不可能。すなわち相手に褒められる生き方というのは不可能
    逆に相手に(暴言吐いたとか以外で)嫌われた場合は、自分の意思で、自由に行動していると考えていい。

  3. 過去に着目せず、未来を予測せず、ただ今を必死に生きろ
    今の自分に過去は関係ない。なぜなら過去は変えられないが、今の行動を変えることはできるからである。今の行動を良い方向に変えて、今を必死に生きれば、気がついた時(未来)には良い感じになってる。
    逆に、過去に着目し過ぎると、「○○だったから、こうなるに違いない」と、未来が確定する(本書では直線の人生になると表現している)。
    未来に着目し過ぎると、「目標まで結構余裕あるし遊ぶかw」っていう風に、怠惰になる。

といった感じ。

とても読みやすかったし、自分自身、結構共感できる部分があって内容が頭に入ってきやすかった。例えば、上記の3. とかは、本書を読む前からこの考えだったので、スッと理解できた。

元々フロイトユング側ではなく、アドラー側の考えだったのかもしれない。

ただこの本は、過去、すなわちトラウマの存在を否定しているので、人によっては劇薬かもしれない。

 

最近、スマブラにハマった。キレ散らかしているがストレス解消になる。

スマブラをしていると怒りで頭がいっぱいになって、現実世界のストレスフルなことを考える余地がなくなるので、結構オススメ(ほんまか?)

ゲームで猿みたいにブチギレるのも悪くないと思った(ディスプレイにファフニールしてしまいそうになるけど)

2020/09/22

一昨日と昨日で、高校時代の友人と下呂へ。大変楽しかった。

あんなに声を出して笑ったのは久しぶりかもしれない(別に今に不満があるわけではない)

 

それはそうと、上記の旅行の前日に「嫌われる勇気」という本を購入した。

最近、卒研での教授とのコミュニケーションや、バイト先でのコミュニケーションで、悩んでいた。そんな中でタイトルと、購入前にパラパラと眺めた中身に釣られて、購入した次第。

結論から言うと、とても分かりやすくって、今まで気づかなかった点に気付かされたような気分。あまり本を読まない私でも1日で2/3以上読み進めた。

もし、対人関係で思い悩んでいる人がいたら、是非買って、読んでいただきたい。そう思わされた本。

2020/09/15

故あって、今週の日曜日、スマブラで一番敗北した男はアルコール中毒で死ぬ可能性があるので、決死の覚悟でスマブラの練習をしている。

たまにコントローラーを破壊したくなる衝動に駆られるが、取り敢えず200戦目指して頑張ってる(本当に楽しいんかこのゲーム

 

突然、真面目な話になるが、今まで自分は「あまり人と絡みたくないが、一応コミュニケーションは取れているし、人間不信とかではないだろう(人間不信ならガチで人を避けるだろう)」と考えていた。

が、本当は他人をとても恐れていて、自分が完璧な人間でないと人から見捨てられると考えているのではないか。そして無意識下では人間不信を抱えているのではないだろうか。と思うようになった。

理由としては、人と会話している時、ほんの少しでも疑問に思ったら、その疑問を深く考え、最終的には「完璧に答えられなかった私に相手が怒っている」という結論に達するからである。

もちろん、こんな結論馬鹿げているし、精神病染みているが、本心では他人を恐れていて、無意識下では人間不信を抱えているからこそ、この結論に達するのではないか。と考えている。

できれば治したい、つまりこんな結論を出さない、小さな疑問を深く考えすぎないようになりたいが、できないと考えている。

なぜなら、この人間不信の部分も含めて私で、この人間不信の部分を否定することは私自身を否定することと同義だと考えているからである。

 

しかし、理論的に考え、自分自身を客観視することはできる。客観視できれば、疑心暗鬼になっても「あーなんかまた疑心暗鬼モード入ってんな」っていう感じで冷静に見ることができ、心が楽になる。と考えている。

あくまで、私が考えていることなので、もし人間不信と向き合う考え方というか、上手な生き方があったら是非知りたい。

 

なぜこんな人間不信を抱えるようになったのか、なぜ完璧な自分でなければ見捨てられるという考えになったのか、思いつくきっかけは2つある。

前者は、中学時代、部活でキャプテンをしていたのだが、親友だと思ってた人に裏切られたこと。

=>この事件がきっかけで、他人は所詮他人だと心の底で理解してそのままズルズルと人間不信に。

後者は、幼稚園時代、近所のガキ大将に家に呼ばれて、散々なことを言われ、その日を境に、今まで活発だったのに、急に大人しく、無口になってしまった(喋れなくなった)こと。

=>散々なことを言われたのは、自分がそのガキ大将にとって完璧に答えてくれる人間ではなかったから。という解釈を幼稚園児さながらしてしまい、現在に至る

である。

 

今更、トラウマを植え付けた連中に復讐したいなんて思いはないし、上記のトラウマを否定することは、今の自分を否定することに繋がるので絶対に否定しない。

が、もしこの記事を若い人が読んだら、今自分がしている行動が他人にはどう写っているのか、考えてみて欲しい(突然の上から目線)

 

以下のサイト様が参考になった。この手のサイトはあまり参考にしないようにしている(超絶失礼)が、以下のサイト様の内容を読んで、ハッとなったので今回の記事を投稿した次第。

hot-hint.com

2020/09/03

芦田 愛菜先輩(感銘受けすぎて勝手に先輩呼びしてる)の信用することの話に、めっちゃくちゃ感銘を受けた。

個人的には信じるってどういうことなんだろう?って中学生ぐらいから今日に至るまでずっと考えていて、大学生になってからは、「信じるなんてものはないんじゃないか、というか別に無理に信じようとしなくてもいいのではないか」という結論に至っていた。

しかし、芦田愛菜先輩の

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」

という言葉が、ずっと悩み続けていたことの答えの一つだと思った。その言葉を聞いた瞬間、モヤモヤが晴れて、なんというか救われた気分になった。

実は中学生時代、部活で色々あって、ちょっと人間不信みたいな状態になったことがある。その時は「今まで友達だと思っていたのに裏切られた」と解釈してしまって、そう解釈した瞬間に憎しみが止まらなくなって、高校は地元の友達がいない、ちょっと離れた高校に進学した。

しかし、ここで、「ちょっと酷いと思うけど、これもこの人の一面なんだ」と解釈すれば、ほんの少し未来が変わったかもしれないし、気が楽だったかもしれない(別に今の人生に全く後悔していないが。)

 

私には、人からちょっと引っかかることを言われると、ずっとその場面が頭の中で何度も再生される癖(?)がある。

芦田愛菜先輩のお考えで言うと、私はまずその人に対して、理想の人間像を勝手に作ってしまうのかもしれない。そして、その人間像から少しでも外れた瞬間、「いや、あの人はそんな人じゃないはず・・・」という風に、その勝手に作った理想の人間像にしがみついて、理想の人間像であることを証明するために、延々と頭の中で再生しているのかもしれない・・・と思った。

私としては、この癖がとっても苦しくって(一時期、精神的な障碍かと真剣に考えた)、どうすれば楽になれるのか考えていたのだが、今回の件で楽になった。感謝。崖の上のポニョ見ます。

 

芦田愛菜先輩は、結構本を読むらしい。今回の件で俺も本を読もうかなと思った(読むとは言っていない)

 

news.yahoo.co.jp

2020/08/31

魔乃アロエさんが引退された。

やっぱりなぁが8割、マジかぁが2割って感じ。

私自身、視聴者は見るか見ないかの二択しかないという考えなので、自粛しますツイートのリプ欄で繰り広げられた、批判と誹謗中傷の嵐が、なぜ起きるのか分からなかった。許せるなら自粛後に続いて見ればいいし、許せないならもう見なければいいのでは、と思っていた。

 

この件に関しては色々と思うことがあるが、個人的に一番思ったのはSNSの使い方である。

私はSNSは人間の手に余るものだと結構真剣に考えている。

現在のSNSは現実世界のように、五感を使わずに、スマホで文字を入力するだけで言葉を伝えることができる。これが私はSNSの最大の弱点だと考えている。

五感を使って会話する現実世界でも、たまに互いの理解の齟齬が起きるのに、指だけで言葉を伝えることができるSNSで、齟齬が起きないわけがない。

魔乃アロエさんが引退を決断した本当の理由は分からない。が、リプ欄を見ている限り、「自分自身は批判しているつもりだが、他人から見ると誹謗中傷に見える」ようなツイートがチラホラ見えた。

SNS上に感情というものはなく、あるのはただ140字程度の言葉のみである。140字程度で、感情も込めた名文をかける人ならいざ知らず、大抵の人はそんなものはかけない。だから、批判のつもりでも誹謗中傷のようなツイートになる。そして、相手を苦しめることになる。

 

この問題を解決するために、将来はSAOとか攻殻機動隊みたいに、電脳化が進んで、五感を使ってSNS上で会話できるような世界になればいい。と考えている。突然ファンタジーな話を語り出したけど、結構マジ。

現状では、こんなものは無理なので、自分はマシュマロを投げたつもりでも、相手はてつはうを投げられたと感じているかもしれない。という思いでSNSをやるしかないと思う。(ていうか、批判リプせずに優しく見守ればいいんじゃない?)

2020/08/29

カレイドスター一期分(26話分)見た。

さらっと流れたけど、出資者のおじいさんの「冒険を恐れるものは、人の後ろを歩くしかないぞ」っていう言葉がすごく刺さった。

高校生の頃に見てたら、おそらくこの言葉の意味は分からなかった。が、アルバイトやら大学生活やらで、人と触れ合う生活をしたせいか、まさにその通り。と思えるようになった。

2020/08/27

久しぶりにお絵かき。まだ下書きだけど。

今回はVA-11 HALL-A のジル。もちろんトレース。

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大変目つきが悪い。

VA-11 HALL-Aのストーリーはあまり覚えていない。というよりかは、ストーリーに関しては個人的には面白くとも何ともなかった。

が、決して貶しているわけではなく、このゲームの初めの方に「お酒を飲みながら楽しんでください」というメッセージが表示される通り、お酒を飲みながら、ハラハラすることなく、「マジで探せばジルと同じようなトラウマを抱えている一般人がいるんじゃねぇの?」みたいな、"普通の"ストーリーだったのが良かった。

 

トレースが本当に難しい。もっと言えば真っ直ぐに引くのが難しい・・・